十狐城

十狐(とっこ)城は、秋田県北部の大館市(旧比内町)にあった城郭です。独鈷城とも記します。
十狐城はこの地の豪族・浅利氏の居城でした。詳しい記録はないのですが、源平合戦の功績により浅利義遠が比内郡を地頭として拝領したと伝わります。
戦国時代中期になり、浅利則頼は比内郡一帯を治める領主となりました。しかし天文十九年(1550)則頼が没すると、浅利氏は秋田氏の傘下に入ったようです。ところが、豊臣政権下で浅利頼平は秋田氏からの独立を果たすべく政治活動を展開します。これも慶長三年(1598)頼平が評定中に没すると立ち消え、比内浅利氏は滅亡しました。その子孫の一部は佐竹家に仕えました。
城は、犀川と住谷川の合流地点付近にある北西に突き出した台地の先端部に築かれました。そして堀や谷により隔てられた主郭・西郭・北郭・東郭で構成されます。

(地図は国土地理院の地理院地図を利用。※曲輪等の位置は推測であり正確ではありません)
不明な点の多い十狐城ですが、遺構の状態が比較的よいとのことで訪問してみました。城跡へは県道22号線経由、旧比内町独鈷の集落の東南にある大日堂を目指します。
➢ ①大日堂
継体天皇十七年(523)創建と伝わります。大永六年(1526)浅利則遠が再建との記録があります。また現拝殿は寛文十二年(1672)に再建されたものです。

登城道。大日堂の右手に進みます。

➢ 浮島龍神社
途中神社があります。かつて沼には浮島があり、参詣者は紙に包んだ金を投げ、吉凶を占いました。

しばらく歩いていると、曲輪群が目の前に現れます。冒頭の写真は、西郭とその手前の谷間、米蔵跡との標柱がありました。

➢ ②西郭
この城跡の中では最も見学のしやすい場所です。面積もそれなりの広さがあり、城館などがあったものと推測します。

➢ ③主郭
西郭から幅の比較的広い谷を挟んで東側にあります。
虎口手前

虎口部分は背が高く密集した笹に覆われています。ここを突破すれば開けた場所に出ます。しかし、帰りどこが出口かわからなくなるので要注意です。

多少は開けた場所に出ました。

➢ ④大手口
主郭から下り坂を降りていくと、独鈷の集落に出ました。交番のすぐ近くです。かつてはこちらが大手口だったのでしょう。

大手口より見上げる西郭。再び城跡へ戻ります。

主郭と北郭の間の堀切。これは良好な状態で残っています。

➢ ⑤北郭
こちらには立ち入らず、祠が曲輪の端にあるのを下から眺めました。

➢ ⑥東郭
堀を隔てて、主郭東側を防備する曲輪です。内部に立ち入ってみましたが、ご覧の通り、何が何だかです。

主郭と東郭の間の堀跡。現在でも湿地となっており、当時は水濠だったのではないかと思います。

折角、比内まで来ましたので、帰りに道の駅ひないに立ち寄り、比内地鶏をおいしくいただきました。
(訪問日 2015年10月11日)
➣ アクセス情報
●住所 | 秋田県大館市比内町独鈷 |
●交通 | 東北道・十和田ICより国道103号線経由24㎞ |
●駐車場 | 大日堂に駐車スペース(無料:上記地図 'P' の地点) |
●周辺見所 | ・大館城 |
チェックマークは大日堂
➣ Wikipedia記事なし
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