鳥越城
鳥越城は、石川県白山市にある城郭です。加賀一向一揆の城として有名です。
本城の城主は、紀伊雑賀一揆の首領・鈴木孫一重秀の一族である鈴木出羽守といわれています。鈴木出羽守は、本願寺から派遣された武将とされ、『信長公記』には、加賀一向一揆が解体された天正八年(1580)には、織田信長のもとに鈴木出羽守を含む一揆方指導者19名の生首が届けられたと書かれており、この時に鳥越城は落城したものとされます。
しかし、翌天正九年(1581)には二曲にいた柴田勝家の兵300人を一向一揆勢が討ち果たし、再び鳥越城を奪還しました。
これに対し、天正十年(1582)には再び織田信長の配下である佐久間盛政が一向一揆を鎮圧し、首謀者300名余りを磔刑にしたことにより戦乱は終息しました。
鳥越城は、北西に向かって真っすぐ伸びる尾根の先端に築かれました。眼下には、東に手取川、西に大日川を望む場所にあります。城の構造は、山頂部に本丸を置き、その前後に尾根に沿って曲輪を並べた連郭式縄張です。
縄張図
(現地案内板より)
城跡は、金沢市街地から南へ約22km、金沢から行く場合には国道157号線を通ります。城山へは、西麓から林道があり山頂付近まで行けます。
城山遠景
➢ ①後三ノ丸
鳥越城の北端に位置する曲輪で、屈折する空堀によって本丸側から独立しています。城内で最も広い面積を有する曲輪内からは掘立柱建物跡や排水溝、玉石敷の施設が発見されています。
➢ 後二ノ丸
➢ 本丸西側礎石建物跡
本丸一段下のこの場所から建物跡が発見されています。位置的に本丸を防衛する役割を担っていたと想定されます。
➢ ②中ノ丸
本丸の南側の曲輪で二ノ丸と連続しています。

柵列
➢ 中ノ丸門
南側に面する門で、二曲城を眼下に望みます。
➢ ③二ノ丸
土塁に囲われており、南西隅には隅櫓が建てられていました。
二ノ丸より本丸方面を眺めた様子。急崖に面していることが分かります。
➢ 自害谷
二ノ丸と三ノ丸の間の深い堀切で、自害谷との名称を持ちます。
➢ ④三ノ丸
城の南東端、尾根筋を守る曲輪です。
➢ 三ノ丸先の堀切
➢ ⑤本丸
標高312メートルの山頂部に位置します。南北に長い長方形で、西側を除く三方に土塁が築かれています。曲輪内には礎石や柱穴が数多く配置されていました。
➢ 桝形門
城内で唯一、石垣で三方を固めた城門でした。石垣は水平軸を通した布目積みでした。
➢ 本丸門
本丸南側を守る高土塁の中に築かれた四脚の掘立柱による門でした。
➢ 本丸内部
➢ 望楼台跡
本丸門脇に設けられていました。
本丸からの眺望
(訪問日 2018年6月9日)
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