井波城
井波城は、富山県南砺市にあった城郭です。
明徳元年(1390) 井波の地に瑞泉寺が創設されました。門徒の増大と共に寺の勢力が強まると、文明十三年(1481)に福光城の石黒光義は討伐の兵を起しますが、逆に敗れて自害に追い込まれました。以降、瑞泉寺は越中一向一揆の拠点となり、城砦化されました。
天正九年(1581) 佐々成政は井波城を攻め落としました。その後、家臣の前野小兵衛が城に入り整備を行いました。阿弥陀堂跡が本丸に、祖師堂跡二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったと記録にあります。
佐々成政と前田利家が争うと、天正十三年(1585)に井波城は利家により落城しました。
井波城は平城ですが、南東に山が間近に迫る場所に位置します。ほぼ円形の城郭の規模は東西250メートル×南北230メートル。堀と土塁で南北に分けられ、南半分に本丸と三ノ丸、北半分に二ノ丸が置かれました。また外周にも土塁と水堀を巡らせています。
縄張図
(現地案内板より)
城跡へは、北陸道・砺波ICより国道156号線をまっすぐ南へ約8kmの場所にあります。車は、城跡内にある井波八幡宮の境内に駐車可能です。私は、道の駅井波に駐車し、大門川沿いに周囲の地形を見ながら城跡を見学しました。
➢ ①地獄谷
井波城北側に位置するこの谷で、瑞泉寺の大きな釣り鐘が鋳造されました。銅を溶かす炎が昼夜を問わず赤々と谷を照らしまさに地獄絵のようであったため、地獄谷というようになったと伝えられています。
城の北を流れる大門川は公園として整備されています。
➢ ②松島大杉
樹齢450~530年と推定されます。城の正面にそびえているため追手門の大杉とも呼ばれました。
➢ 桝形跡
二ノ丸西側は桝形ということですが、跡形もありません。
➢ ③二ノ丸
城の北半分を占める二ノ丸跡には、招魂社が祀られています。
二ノ丸周囲の土塁
➢ 本丸・二ノ丸間の土塁
城は土塁と堀で南北に二分されています。
土塁上より
土塁の脇には堀がみられます。
➢ ④本丸
城の南半分、本丸跡には井波八幡宮が祀られています。
➢ 臼浪水
瑞泉寺発祥の機縁となった霊泉で、本願寺綽如上人の勧進状に「此地に霊水あり、故に瑞泉寺と称す」とあります。
➢ 蚕堂
江戸時代中頃より養蚕業は町第一の商売として営まれました。文久元年(1861) 蚕種を営む町の業者たちが、蚕神を祀り、蚕の霊を鎮めるために総ケヤキの蚕堂を建立しました。
本丸周囲の土塁を外側より
周囲の水堀も一部残っています。
➢ ⑤瑞泉寺
佐々成政に攻め落とされた瑞泉寺ですが、豊臣秀吉の保護を得て復興しました。現在は、井波城跡の西に隣接する場所にあります。境内の建物は、伝統工芸・井波彫刻により装飾されています。
(訪問日 2018年6月8日)
➣ アクセス情報
チェックマークは井波八幡宮
● 住所 | 富山県南砺市松島 |
● 交通 | JR城端線・福光駅よりバス 北陸道・砺波ICより国道156号線経由9㎞ |
● 駐車場 | 井波八幡宮もしくは道の駅井波駐車場(無料:上記地図 'P' の地点) |
チェックマークは井波八幡宮
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