高田城
高田城は、新潟県上越市にあった城郭です。
上杉景勝が会津転封になった後にこの地に入った堀秀治は、春日山城を廃し、関川河口近くに新たに福島城を築城しました。しかし、慶長十五年(1610)に御家取り潰しとなりました。
代わってこの地に入封したのが、徳川家康の六男・松平忠輝です。忠輝は慶長十九年(1614)に天下普請として高田城築城に着手しました。普請には上杉景勝や前田利常など13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅・伊達政宗が就任しました。そして着工からわずか4か月で完成しました。完成を急いだ背景には、豊臣秀頼との決戦を控え豊臣の重臣を牽制し、江戸の背後を固めるためといわれています。
元和二年(1616)、家康の死後まもなく忠輝は突如改易となりました。その後は酒井氏、松平氏、稲葉氏、戸田氏、松平氏と譜代の重臣が入れ替わり領主となりました。寛保元年(1742)に榊原政純が入封すると、明治維新まで榊原氏が藩主を務めました。
高田城は、高田平野の中央よりやや西に寄った、当時は菩提ヶ原とよばれた場所に築かれました。城の中心には215×228メートルの規模の本丸が置かれ、その外側は二ノ丸で囲み、その南には三ノ丸が展開しています。本丸の周囲は内堀、二ノ丸・三ノ丸の周囲は外堀と二重の堀が設けられていました。外堀は、自然堤防の周りに蛇行していた河川を利用したものです。
城絵図
(現地案内板より)
➢ ①外堀
関川の蛇行部分を利用したため堀幅が非常に広いのが特徴です。現在、北・西・南の三方に外堀が残ります。いずれもこのように一面のハスで覆われています。
➢ ②大手橋
大手道は、大手門から外堀にかかる大手橋を渡り、西へ直進して城下町に通じていました。
二ノ丸・三ノ丸の跡には、公園、陸上競技場、博物館など様々な公共施設が設けられています。
➢ ③三ノ丸
城の南に展開していた曲輪。その一部は公園となっています。
➢ ④瓢箪曲輪
南西に岬のように突出した曲輪でした。現在はその地形を利用して野球場になっています。
➢ ⑤二ノ丸
本丸を囲む曲輪でした。
➢ ⑥内堀
本丸を取り巻く堀で、断面がV字状の薬研堀です。堀幅は36~58メートル、深さは平均で5メートルほどです。
➢ 東不明門
本丸の東門です
➢ ⑦極楽橋
二ノ丸から本丸に通じる木橋として掛けられました。明治時代になり埋め立てられ陸続きになりましたが、平成十四年(2002)に復元されました。発掘調査では3列に並んだ橋脚が見つかっています。
➢ ⑧本丸
城主の生活の場で、静真郭御殿と呼ばれていました。ほぼ正方形ですが、鬼門除けのため北東隅を欠いているのが特徴です。城門は、南・北・東の三か所に設けられていました。
本丸の四方を守る土塁。内堀の掘削土を盛り上げて築かれました。高さは約10メートルと雄大な高土塁です。
➢ ⑨三重櫓(復元)
本丸南西隅の土塁上に構築されました。当時は「御三階櫓」と呼ばれ天守にかわる城の象徴となっていました。明治になって取り壊されましたが、平成五年(1993)に復元されました。
天守最上階からの眺望。平城なのであまり見晴らしはよくありません。
(訪問日 2017年9月10日)
➣ アクセス情報
● 住所 | 新潟県上越市本城町 |
● 交通 | えちごトキめき鉄道・高田駅より徒歩20分 上信越道・上越高田ICより県道85線、県道579号線経由4.5㎞ |
● 駐車場 | 高田公園駐車場(無料:上記地図 'P' の地点) |
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