浦添城
浦添城(うらそえぐすく)は、沖縄県浦添市にあったグスクです。
浦添城は13世紀末に築城され、中山を勢力下におく支配者の拠点と考えられています。14世紀後半から15世紀前半頃に、察度王統の下で大規模なグスクになりました。1406年、尚巴志の攻撃により察度王統は滅ぼされ、浦添城も荒廃しました。
第二尚氏の時代になり1524年に第三代の尚真王の長男・尚維衡が居住し、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。1589年には浦添出身の尚寧が国王となりました。しかし、1609年の薩摩侵入の際に城は焼け落ちてしまいました。1620年、尚寧王は浦添城の北側崖下にあった「浦添ようどれ」と呼ばれる王陵を改修し一族の墓を移しました。
1945年太平洋戦争末期の沖縄戦の際に、この地域は激戦地となったため遺構は壊滅的な被害を受けました。現在、修復作業が進んでいます。
城は、北を流れる牧港川と南を流れる小湾川に挟まれた、北西から南東へ伸びる細長い台地の上に築かれました。長さ約300メートルの城の周りを城壁が囲んでいました。
(地図は国土地理院の地理院地図を利用。※各曲輪等の位置は推測であり正確ではありません)
城跡案内図
(現地案内板より)
城跡見学の際は、西側にある浦添グスク・ようどれ館、もしくは南側にある浦添大公園管理事務所に車を停めます。
➢ ①浦添ようどれ
浦添城の北側崖下にある王陵です。13世紀後半に英祖王が築いたといわれています。その後1620年に浦添出身の尚寧王が改修しました。沖縄戦で壊滅的な損害を受けましたが、現在修復されています。
陵墓は崖をうがった東西二つの部屋にあります。東室が尚寧王陵、西室が英祖王陵です。冒頭の写真の通り、王陵の入口周囲は堅固な城壁で囲われています。
案内図
(現地案内板より)
ようどれ正面、扉の向こうが陵墓となっています。
室内を見学することはできませんが、浦添グスク・ようどれ館に西室を実物大で再現した展示があります。
➢ ②城壁(復元)
城跡北西側の入口です。
➢ ③ディーグガマ
デイゴの大樹がある洞穴という意味です。鍾乳洞が陥没してできた窪地で、地元の方の拝する御嶽です。
眺望
➢ 殿(トゥン)
祭場という意味のようです。
➢ 城壁跡
城跡南側には、城壁が部分的に残っています。
城跡の東側は、採石により地形が変わり危険なため立入禁止です。
一旦、城山の中腹までおりて東端に向かってみました。
城跡の北東斜面は、一面の霊園となっています。
➢ ④ワカリジー
城跡の東端に高く突出した石灰岩で、今なお人々の信仰を集める拝所です。
➢ ⑤浦添城の前の碑(復元)
1597年に浦添城と首里城を結ぶ道路を整備した際の竣工記念碑です。
➢ 石畳道
こちらが首里との間を結ぶために建設された石畳道
➢ シーマヌウタキ
城の南側崖下の洞穴です。沖縄のグスクには必ずいつくもの拝所があります。
(訪問日 2016年12月6日)
➣ アクセス情報
チェックマークは城跡駐車場
● 住所 | 沖縄県浦添市仲間 | |
● 交通 | 沖縄道・西原ICより県道38号線経由4㎞ | |
● 駐車場 | 浦添グスク・ようどれ館駐車場もしくは浦添大公園駐車場(無料:上記地図 'P' の地点) | |
● 周辺見所 | ・首里城 |
チェックマークは城跡駐車場
スポンサーサイト