島崎城
島崎城は、茨城県潮来市にあった城郭です。
鎌倉時代初期常陸大掾氏の一族・行方宗幹の第二子・高幹が島崎氏を名乗り、この地を支配しました。そして15世紀前半、島崎成幹が島崎城を築きました。島崎氏は強勢を誇り、「南方三十三館」と称された鹿島・行方両郡の諸豪族筆頭の地位を得ました。
しかし、天正十九年(1591)佐竹義宣により十七代城主・島崎義幹が滅ぼされ、島崎城は廃城となりました。
城は、台地先端に3つの曲輪が連郭し、その外には外構を設けていました。一と二の曲輪の間に馬出があり、二の曲輪の外周空堀は二重で、中間に土塁と腰曲輪がありました。三の曲輪の外周外堀は複雑に屈曲しています。外構は、古宿とも呼ばれ空堀があります。
一の曲輪周辺は道が細く駐車スペースはなさそうです。外構のあった場所に古宿農村集落センターという集会所を見つけ、その駐車場を拝借しました。
➢ ①空堀
道端に不法投棄禁止の立て札があり、ふと覗き込んでみると見事な空堀がありました。三の曲輪と外構の間に位置します。
➢ ②城址碑
➢ ③一の曲輪
参道を登ると一の曲輪です。
曲輪内部には御札(おふだ)神社が祀られています。
神社の裏には土塁がありました。
一の曲輪虎口には人の高さを超える土塁が築かれていました。
➢ ④馬出
一の曲輪虎口正面に設けられた馬出
➢ ⑤水の手曲輪
こちらは一の曲輪と水の手曲輪の間の空堀。右手が水の手曲輪ですが、藪がひどく探索は断念。
➢ ⑥二の曲輪
二の曲輪虎口部です。二の曲輪に登ってみましたがやはり藪がひどく断念。他の方のブログを読むと、土塁がよく残り、三の曲輪との間には二重堀が見られるとのことです。季節が悪かったのでしょうか。
(訪問日 2016年6月26日)
➣ Wikipedia記事なし
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